先日、新海誠監督の最新作、「すずめの戸締まり」を観てきました。
ひとつの記事では書ききれないほど、今の大きな時代の転換期に生きる私たちにとって、深い深い、メッセージが込められていると感じました。
登場人物やストーリー展開に対して様々な解釈と考察があるようですが、本記事では私自身が個人的に感じた、本作から感じ取ったメッセージ、考察について書いていきたいと思います。
以下、ネタバレを含みますので、閲覧にご注意ください。
すずめの戸締まりとは
出典:劇場版ビジュアル(筆者撮影)
「すずめの戸締まり」は、2022年11月11日に公開された新海誠監督の新作映画で、観客動員数、興行収入共に、2016年に一世を風靡した「君の名は」、2019年公開の「天気の子」を上回る数字を叩きだしている話題作です。
公開日1111の意味
この映画の公開日が11月11日であることから、1111というゾロ目、エンジェルナンバーを想起させます。
1111は主に、次元上昇、アセンションコード、魂の成長、始まり、宇宙との繋がりを意味するエンジェルナンバーです。
内容的にも人類、地球全体へのメッセージを含むこと、そして1111はツインレイにとっても大事なエンジェルナンバーであるため、「君の名は」「天気の子」に続いて、今回もツインレイが暗に描かれるのだろうなということが、観る前から予想できました。
すずめの戸締まりのあらすじ
すずめの戸締まりは、一言でいうと、主人公が故郷を飛び出し、知らない土地を旅しながら本当の自分を取り戻していく、自らの闇と光に向き合いながら使命を果たしていくロードムービーです。
詳しくは公式サイトに書かれているので割愛しますが、私がこの映画のあらすじを一言で表現するとするなら、「壮大な自己統合の物語」であるということです。
すずめの戸締まりの聖地
2016年公開の「君の名は」の舞台は、私が住む岐阜県の飛騨地方でした。映画の中で鮮やかに、細部まで描かれた見慣れた地元の電車、飛騨の街並み、名古屋駅の景色などにワクワクと興奮した思い出がありますが、今回のすずめの戸締まりも、全国各地に”聖地”が生まれることになりました。
主に、
- 宮崎県日南市
- 愛媛県 八幡浜港
- 兵庫県神戸市(新神戸駅・六甲山など)
- 東京・御茶ノ水
- 宮城県 大谷海岸
が描かれていますが、他にも個人的には、昨年霊夢から二度訪れることになった淡路島・鳴門の旅を懐かしく思い出す、大鳴門橋、明石海峡大橋がとても美しく描かれていたのが嬉しかったのでした。
すずめの戸締まりの主題歌
すずめの戸締まりの主題歌を担当したのは、今回もRADWINPS(ラドウィンプス)。
私自身も大好きなバンドです。
野田洋次郎さんの優しくやわらかな声、紡ぎ出す繊細なメロディと胸の奥に染み渡る歌詞は、本当に魂に響きます。
主題歌 カナタハルカより:
あなたと見る絶望は あなた無しの希望など霞むほど輝くから
すずめ feats.十明より:
思い出せない 大切な記憶
言葉にならない ここにある想いもしかしたら もしかしたら
それだけでこの心はできてるもしかしたら もしかしたら
君に「気づいて」と今もその胸を
打ち鳴らす
すずめの戸締まりの考察(登場人物)
すずめの戸締まりの考察には色々な視点と角度がありますが、ここでは、私が個人的に感じた、登場人物に関する考察を書いていきたいと思います。
ダイジンとサダイジン
ダイジン(白猫)とサダイジン(黒猫)については、色んな考察が出ていますが、私が最初に見て感じたのは、白猫のダイジンはすずめの守護、光のガイド、もしくは彼女の内なるインナーセルフ。陰陽の陽、男性性担当。
黒猫のサダイジンも同じく、すずめの内なる神でありガイドですが、闇をあぶりだしてくれる役割。陰陽の陰、女性性担当。
サダイジン=左大臣にもかけられていて、左は女性性ということもありそう感じました。一方、白猫のダイジンは、右大臣(ウダイジン)とも言えます。
劇中では、サダイジンが現れて環に憑依したことで、環とすずめ、両者の胸の奥に隠していた闇の本音が炙り出され明るみになるわけですが、その時、ダイジンは激しくサダイジンを激しく威嚇します。
また、ダイジンとサダイジンが、陰陽太極図を示しているようにも見えます。よく見ると、白猫のダイジンの左目に黒い縁取り、黒猫のサダイジンの左目には白い縁取りがあるからです。
これはまさに、白の中にも黒があり(光の中にも闇があり)、黒の中にも白がある(闇の中にも光がある)、陰陽太極図そのものを表しているようにも見えました。
また、ダイジンが発言や行動などから幼児性を感じさせる仔猫であることに対し、サダイジンは身体も大きな大人を匂わせます。
自然界においては、女性(雌)の方が往々にして男性(雄)よりも体が大きかったりもするので、その隠喩かなとも思いましたが、いずれにしても彼らは神の化身であり、私たちの中にある二面性、光と闇、陰と陽、子供のような無邪気さ、かつ、ある意味”残酷”な一面と、成熟した大人な一面を表しているように感じます。
ツインレイ 岩戸鈴芽と宗像草太
出典:劇場版ビジュアル(筆者撮影)
君の名は、天気の子など、これまでの新海誠監督の代表作には、魂を分けた自分の片割れ、つまりツインレイとの物語が含まれています。
すずめの戸締まりにおいては、すずめと草太がツインレイとして描かれています。
その根拠として、下記のポイントがあります。
強烈な印象を残す出逢い
まず、すずめは草太と出逢った瞬間、「私は彼を知っている、どこかで逢ったことがある」と感じ、その瞳を見て「きれい」と一瞬時が止まり、我を忘れます。そして、強力に惹きつけられていきます。
出逢いをきっかけにスピリチュアル能力が開く
草太との出逢いの後、すずめは校舎の窓から、赤黒く立ち昇る「ミミズ」の姿を見ることになります。
しかし、すずめ以外のクラスメイトにはそれが見えません。この描写が暗示するのは、すずめに突如、目には見えないエネルギーを感じ取るスピリチュアル能力が開かれたということです。
これはツインレイとの出逢いをきっかけに、実際多くの女性に起きることです。
相手を救いたい一心で行動的になる
ダイジンに椅子にされてしまった草太を救いたい一心で、すずめは着の身着のまま、ダイジンを追って宮崎を飛び出します。叔母の環の心配と干渉をよそに、どんどん動き回り、積極的に行動していきます。
ツインレイ女性の特徴のひとつに、ツインレイ男性を救いたい、という潜在的な想いがあります。また、出逢いを通じてこれまでのコンフォートゾーンを突破し、とても行動的になる、という点も共通しています。
自立していく歓び
宮崎を飛び出しフェリーに乗って愛媛へと向かっている時のすずめの心情の描写が、小説にはこう書かれています。
さあ始まるよと、周囲のなにもかもがうきうきと言っているような気が、ふいにする。
何が始まるのか、旅なのか人生なのか単なる新しい一日なのか分からないけれど、とにかくこれから始まるよと、音が、匂いが、光が、体温が、そわそわとささやいている。
「・・・どきどきする」
朝日に縁どられた景色を見つめながら、私は思わず口に出した。
ツインレイパートナーと出逢った後は、目に映る景色がまるで違ってきます。
色鮮やかでキラキラとして、希望に満ちて見える。
自分を生き始めた、喜び。
そのワクワクとした心情が、すずめからも伝わってくるのです。
魂の絆で共に使命を果たしていく
全国を移動しながら、後ろ戸を閉めるというミッションを草太と協力しあって果たしていく、これもとても象徴的です。
また、すずめと草太が心を通わせていく過程のほとんどで草太が人間の姿をしておらず、椅子になっている、という点も注目すべきところです。
ツインレイは魂でのつながりが強いため、魂の器である肉体の有無や形は、本質的には問題になりません。
椅子になった草太に触れたすずめの心情が、小説にはこう描かれています。
椅子は、人の体温を持っていた。魂という言葉がふと浮かぶ。そういうものがあるとしたら、それはきっとこういう温度だ。
すずめは草太を魂で感じ取っています。そして、魂の交流によって、むしろその愛は大きく昇華していきます。二人は魂で繋がり続け、共に協力し合ってミッションを果たしていくことになるのです。
ソウルメイトとの出会い
すずめは旅を続ける中で、これまでの日常では決して出逢うことが出来なかった、全国各地のソウルメイトたちと出逢うことになります。
その出逢いは、偶然とは思えない、とても深い、昔から知っている魂の友との再会のように描かれます。
愛媛で出逢った高校生の千果が、すずめにこう言います。
「・・・鈴芽は魔法使いじゃけんのう、秘密ばっかじゃ」
「でもなぜじゃろか、あんたはなんか、大事なことをしとるような氣がするよ」
何かは分からないけれど、出逢ったばかりのすずめを魂で感じ、応援しているのです。
草太との出逢いをきっかけに、すずめは自身に、他の人にはない、目には見えないものを見たり感じる能力があることに氣づき、これまでの殻を破り、魂の使命、志事に着手し始めました。
魂の仕事を、ソウルワークと呼びます。
ソウルワークの大きな特徴の一つに、時空を超えて、生まれる前から出逢うことを約束してきたソウルメイトとの出逢いが広がる、ということがあります。その出逢いは、お金には代えられない真の豊かさを教えてくれます。
同時に、魂からの仕事をしていくことはツインレイプロセスを歩む上でも必須科目となるため、こちらのプログラムを行っています。
常に神(守護ガイド)に守られる
ツインレイプロセスは、現実世界では様々に苦難や壁と思われることが起きますが、同時に、宇宙に、神(守護ガイド)に見守られるように出来ています。
なぜならツインレイの出逢いや、出逢う理由そのものが、宇宙の意図であり神仕組みだからです。
この映画においては、表面的には敵なのか味方なのか分かりにくい白猫のダイジン、そして途中から登場する黒猫のサダイジンが常に二人を守っています。
草太から感じるツインレイ男性の孤独
閉じ師の草太の命がけの献身と活動は、誰にも知られていません。表面的にはいつも淡々と穏やかで優しさをたたえていますが、その裏ではいつも孤独と重責を背負い、それなのに閉じ師としての働きは誰からも感謝されません。
それでも、先祖代々引き継がれたその“仕事”を全うしようと全身全霊を傾ける。
その孤独と哀しみ。
そして、今まさに起きようとしている大災害を鎮めるために、今世やっと出逢えた最愛の女性と別れ、自分は永遠に要石として、その地を守られなければいけない。
小説に、草太が冷たく重くなり、要石になっていく時のこんな描写があります。
これで終わりか、こんなところで
でも俺は、君に会えたから
そう自分を納得させながらも、無念の思いを隠し切れず、こう言います。
君に会えたのに、、、、!
消えたくない
もっと生きたい
生きていたい
死ぬのが怖い
生きたい、生きたい、生きたい、、、
こんな無念の哀しい別れを、ツインレイは過去世において、何度も体験してきているような氣がするのです。
世間の目という壁を超える
東京での壮絶なミミズとの闘い、そして草太を要石として突き差し、大地震を防いだ後のすずめは、衣服はボロボロ、靴も履かずに街中を歩き、電車に乗ります。
周りから「あの子靴も履いてない」と奇異の目で見られますが、すずめは動じません。
ここに、愛する人のためなら己を顧みない、人の目を氣にしない強さがとても表れていると感じました。
草太の祖父を病院に訪ねた時の強い覚悟と、「草太さんのいない世界が、私は怖いです!」というセリフも、とても共感できるものでした。
本音のぶつかり合い
終盤、母親代わりとなって自分を育ててくれた叔母の環と激しく本音でぶつかり合うシーンがあります。
「環さんは重い!」
「あんたもううちから出ていきんさい!」
身近な家族に対し、なかなか口に出来ない本音をぶつけ合います。
家族との向き合いと本音を言う、ということも、ツインレイの成長プロセスには欠かせません。
過保護や過干渉からの脱却
これもツインレイの共通テーマと感じます。
そしてすずめが環さんの干渉から抜けて、自由になっていく歓びが、我がことのように感じられました。
すずめを自分の監視下に置こうとする、変化を嫌う保守的な環の元を離れ、旅の中で出逢った人々を思い、すずめがこう想起するシーンが小説には描かれています。
ルミさんもミキさんも、それから千果も、誰かのおかしさなんかにはぜんぜん頓着しないようなおおらかさがあった。他人には自分とは違う世界が在ることを、しっかりと知っていた。地元を離れてからたった二日間しか経っていないのに、私の世界は以前よりずっとカラフルになっていた。
自分の過去と闇に向き合い受け入れる
311の辛い過去を残した故郷、自宅のあった場所へと足を踏み入れたすずめは、かつて子供の頃に迷いこんだ常世へと続く後ろ戸を見つけ、草太を救うため、命の危険を顧みず飛び込んでいきます。
草太という存在を支えに、向き合うことから逃げて来た自分の過去を受け入れたのです。
そして草太を人間に戻し、巨大に膨れ上がったミミズに共に対峙し、ダイジンとサダイジンという”陰陽統合”の要石を打ち込んで大災害を防ぐミッションに成功します。
自分自身との和解と自己救済
その後に続く、この物語の最も象徴的なシーンが、4歳のすずめと未来のすずめが出逢い、対話するシーンです。
後ろ戸の向こうの常世は、過去も現在も未来も、同時に存在する場所。そこで、すずめは4歳の頃の自分と遭遇することになります。
そして、震災で母を亡くし傷つき、絶望していた幼い自分にこう優しく、そして力強く語りかけるのです。
「あなたは光の中で大人になっていく」
そうして、すずめはついに、過去の自分と和解をするのです。
これは、見方を変えれば、すずめ自身のインナーチャイルドが癒されたシーンとも言えます。
その証拠に、小説にはこんな描写があります。
目の前で泣き続けるすずめの苦しみは、私の苦しみだった。両者は等しく同じものだった。彼女の絶望も寂しさも、窒息するような悲しみも燃えるような怒りも、全部がその強さを保ったままで、今でも私の中にあった。
17歳のすずめの中で、4歳の頃の幼い傷ついた自分がそのまま、辛い感情が当時から一寸変わらず未消化のまま残っていたのです。
別れと再会
すずめと草太は、一度、物理的に別れます。ここもとても印象的です。それぞれが現実を精一杯生き、そしてさらに自立して成長した先に待っていた再会のシーンも、映画のラストに描かれています。
二人は再び、出逢った場所で再会することになります。
その時すずめは草太に、「おかえり」と言います。
この二人の”統合”シーンで映画は完結を迎えます。
現実はこの映画のようには、なかなか短期間にはいきませんが、すずめと草太をツインレイパートナーとして見た時、ツインレイ女性が出逢いをきっかけに辿る魂の成長、自己統合プロセスをぎゅっと凝縮したようなストーリー展開になっています。
すずめの戸締まりが伝える7つのメインメッセージ
この映画には、ツインレイ以外にももちろん、地球の未来とアセンションに関わる、私たち人類にとって多くの大切なメッセージが詰まっています。
下記に、私が個人的に受け取った、7つの重要メッセージを解説します。
「行ってきます」過去を受け入れ新たな未来へと向かう
誰にでも、少なからず、心の奥に、受け入れがたい過去の傷やトラウマがあります。それは過去世に起因したものも少なくありませんが、いずれにしても、そういった自分の内側に残るすべての過去を修了し、卒業していく時を私たちは迎えています。
この映画は、「行ってきます」の合言葉と共に、過去を受け入れ卒業して、今ここから、また新たな未来の扉を開いていこう、新たに出発しようと私たちに伝えてくれているように感じました。
過去の延長ではなく未来から今を生きる
すずめがなぜ、草太を初めて会った気がしない、と感じたのか。
それは幼い頃、統合を果たした草太と共にいる未来の自分に出会っていたからなのです。
これは言い方を変えれば、すずめは、過去の未消化な自分に囚われながらも、実は未来の自分から導かれながら今を生きていた、ということを意味しています。
今こそ私たちは時間という概念を超え、過去の経験から自分はこうだ、と思い込んで生きるのではなく、未来の、光り輝く自分からのメッセージを受け取りながら今を生きる時なのだと思います。
自分を救えるのは自分だけ
私たちは今世も、そして過去世も、自分以外の何者か、外側に多くの救いを求めてきました。時にそれは、宗教であったり、特定の神であったり、他人であったり、有名な誰かだったり、自分よりすごい、と思う知人友人であったり。
でも、自分を救えるのは結局、自分自身しかいない、ということも、この映画が伝える重要なメッセージの一つです。
君の名は、の時のように、運命のパートナーが自分を救うのではありません。
すずめの戸締まりでは、すずめが草太という片割れの存在を支えに、ダイジン、サダイジンという自分自神であるガイド、神の導きと、多くのソウルメイトの協力を得て、自分が自分を救う物語です。
神と人が共に使命を生きる時代
小説には、ダイジンが明石海峡大橋を渡っているの知り、草太が、「氣まぐれは神の本質だからな・・・・」と冷静につぶやくシーンがあります。
風の時代に入り、この先のアセンションへ向けて私たちが目指すのは、内なる自分自神であるハイヤーセルフと一体となってこの地上を生きることと、とも言われます。
内なる神性さを発揮して生きる時なのです。
その上で、子供のような無邪気さと純粋さ、遊び心を持ち、氣まぐれと言われるほど自由奔放であることは、とても大事なこと。
だからこそ、これまで私たちが、「自分とは違うすごい存在」として外へ向けて崇めて来た神々も、実は私たち人間が思うより、ずっと人間に近い存在なのだと思います。
ダイジンがそれを表してくれているように思えました。
人々に忘れ去られ、人知れず廃墟で要石としてずっと役目を果たし続け、動けないままだった神であるダイジンが、ひととき肉体を取り戻し、自由にこの地上を巡る歓びに、子供のように無邪気に興じる姿は、すずめが本当は魂の奥底で願っている自分の姿そのもの、本当の在りたい自分、理想の自分そのものを体現しているように見えました。
本音で生きることの大切さ
本音を言い合うことは、時に痛みを伴います。傷つけたくない、傷つけられたくないという、怖れも生じます。
劇中の環とすずめの言い争いも、そうです。
一瞬痛みを伴うけれど、その効果と威力たるや、その後の二人の爽快な、憑き物が落ちたような笑顔を見れば、一緒に旅していた芹澤さんにまでその効果が表れる様子を見れば、包み隠さず本音を言うことがどれだけ素晴らしい調和を生むのか、自分だけでなく周りも幸せにする不思議な力があるのかが分かります。
映画では、サダイジンが二人の本音を引き出しましたが、本音とは魂の声であり、魂に従って生きることに繋がります。
まさに、ヴォイスヒーリングセッションの効果と同じだなと感じながら見ていました。
コンフォートゾーンを抜ける勇氣
私たちは、慣れ親しんだ仕事や人間関係、日常からなかなか抜け出せません。その理由は、私たち人間が根本的に、変化を怖れる生き物だからです。
それは一種の、生命維持の本能であり、自己防衛反応とも言えます。
しかし、私たちは、無難な人生を生きるために、地球に生まれて来たわけではありません。
生まれた目的は魂の成長であり、そのためには変化、挑戦が必要になります。たとえ怖くても、勇気を出して今いるコンフォートゾーンを向けていかない限り、先には進めません。
人の意識と心が創る現世(うつしよ)
私たちは、目の前の現実を自分の意識で創造しています。
同じ場所にいて、同じ出来事を体験しても、感じ方も、その先の未来も、その人の意識次第で全く違うものになります。
そういう意味では、人生に起こるすべては自己責任とも言えます。
他の誰かや出来事のせいにせず、すべては自分が創り出している、このスタンスに立たなければ、私たちは真の自立は果たせません。
まとめ
人は魂の声に従い、使命に生きる時、真に強くなり、魂の成長を果たしていきます。その時、その本人だけでなく、周りのみんなも真実の道を生きることになり、結果、真の幸せと調和が生まれます。
その世界観が、すずめ自身が自らの闇と対峙し受け入れる、自己統合の成長物語を通して、この映画には描かれていました。
人々の意識や心の象徴である常世が美しい世界になれば、現世(うつしよ:映し世)の現実世界も美しくなります。
私たちの究極の目的は、ハイヤーセルフとしてこの地上を生きること。
それは、自分の内なる神性を、現実の行動、生きざまで表して生きていくということです。
最後、すずめと草太はまさに、男女対の神として、要石を打ち込み、大災害を防ぐというミッションを成し遂げました。
同時に、ダイジンは最後、「後ろ戸へと導いてくれていたのは実はダイジンだった」という、神の導きに対するすずめの氣づきと感謝、愛の心に触れて、神としての役割を取り戻し、自ら望んでまた要石に戻ったのだと思います。
私たちが感謝と愛の心を向ける時、神々は歓び、喜んで私たち人間を助けてくれる。その土地を守ってくれる。その象徴のシーンであったと感じます。
神々と手を取り合い、調和の世界を共に創造する時代へ。
すずめの戸締まりが伝えてくれる深く愛あふれる真のメッセージは、今後、この映画を繰り返し二度三度、繰り返し観ることでより深まっていくと感じています。
2024年の大きなテーマは、これまで深めて来た自己愛と自己受容を土台として、さらに自己統合を進め、実際に行動に移していくことです。
自分自身の闇から逃げることなく、あるがままの本当の自分を生きるという「肚を決め」「覚悟を決め」、自らの魂の声に従い、自分を許し、自分を愛し、これまでの過去を感謝と共に手放して、望む未来へと進んでいくサポートを行っています。