人生

名著「嫌われる勇氣」の名言と人生を楽に生きるヒント

あなたは人に嫌われても平気ですか?

この問いに、YESと100%自信を持って言える人はとても少ないと思います。

何故なら多くの人は、人に嫌われないように、人の目、世間の目を日々氣にして生きているからです。
本記事では、大ベストセラー本「嫌われる勇気」から名言を引用しながら、人生を楽に自由に、幸せに生きるヒントについて書いていきます。

嫌われる勇気とは

「嫌われる勇気」は、2013年に出版されベストセラーとなったアドラー心理学をベースとした自己啓発書です。哲学者(哲人)と青年の対話形式でアドラー心理学の真髄を分かりやすく解説しており、誰の胸にも響くその題名から多くの人に支持され、海外でもベストセラーとなるなど発売以来10年以上愛読者が絶えない名著です。

「嫌われる勇気」はなぜ人気があるのか

「人に嫌われたくない、良く思われたい」

この人の目を氣にする意識、善良な人と見られたいという外向きの意識が、私たちを真の幸せから遠ざけてしまっていることに、どれだけの人が氣づけているでしょうか。

古き地球、古き時代の自分を完全に脱ぎ捨て、新しく生まれ変わるタイミング。
本格的に時代が変わろうとしている今、私たちが今最も必要とするものは”嫌われる勇気”だと私は感じています。

人の目を氣にして、人の期待に応えようと自分を偽っている限り、私たちは本当の意味で幸せにはなれません。
ましてや、多くのスピリチュアルに関心がある方が関心を寄せるアセンションなど、人からどう思われるかを氣にする意識レベルでは到底果たすことはできません。


そのことに多くの人が潜在意識の深いところで氣づき始めているからこそ、この本が今また注目され、ロングセラーを記録しているのだと思います。

「嫌われる勇気」をおすすめしたい人

「嫌われる勇気」はぜひ、一人でも多くの人に一度は読んでもらいたい本です。中でも下記のようなタイプの方におススメです。

  • 人に嫌われたくないという怖れが強い
  • 人の目が氣になって仕方がなく不自由さを感じてる
  • つい良い人をしてしまう
  • 本音を言えない
  • 全員に好かれたいと思う
  • 責任感が強い
  • 常識人でいたいという意識が強い

「嫌われる勇気」をおすすめできない人

逆に、今現在、下記のような状態にある方は読まない方が良いかもしれません。余計に苦しくなってしまうかもしれないからです。

  • 起きる出来事すべてを誰かのせいにしたい
  • 怪我や病氣で心身が痛く苦しい
  • 何かにすがりたくてたまらない
  • いつも自分を責めてしまう
  • 人に優しくなれず常にイライラしている
  • 自分と向き合う時間も精神的余裕もない

「嫌われる勇気」おすすめの10つの名言と人生を楽に生きるヒント

「嫌われる勇気」の中には、私たちの魂を癒し氣づきを促すような名言が沢山あります。その名言を知って人生が変わったという読者の方も少なくありません。

私自身もそのうちの一人です。ここでは、私自身が対人関係で苦しかった時期、救われた名言とそのポイントをご紹介します。

”原因論”ではなく”目的論”を採用する

われわれ人間は、原因論的なトラウマに翻弄されるほど脆弱な存在ではありません。目的論の立場に立って、自らの人生を、自らのライフスタイルを、自らの手で選ぶのです。われわれには、その力があります。

アドラー心理学の教えを提唱するこの本は、”原因論”と”目的論”について言及しています。
原因論で生きる限り、我々は一歩も前に進めないと哲人は青年に語ります。

ぱっとこの言葉を聴いてもその意味が分かりづらいかもしれませんので、最近増えている“子供の不登校”を事例に解説します。

例えば、お腹が痛いから学校に行けないと訴える子がいるとします。(私自身この体験を持っています)しかし、実はお腹が痛いという原因が元で学校に行けないのではなく(原因論)、学校に行かないという目的を果たすために腹痛を選択している(目的論)というのが哲人の見解です。

私自身、自分の子供が不登校になった時、彼女は”学校に行けない”のではなく、”学校に行かない”という選択をただしているだけと捉えていました。
その選択、目的を果たすために様々な症状を訴えているだけなので、彼女の目的が変われば自然に解消される。だから心配をしませんでした。

平日二人でいられる時間を、一緒に旅をしたりカラオケに行ったりして存分に楽しめ、かけがえのない時間となりました。

過去やトラウマは実は存在しないと氣づく

過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」になんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。


私たちは多くの場合、過去の出来事に囚われて今を生きています。

たとえば、「昨日こんなことがあったから今日気分が悪い」「あの人に昔こんなことを言われたから傷つき、今もその傷が癒えずトラウマになっている」など。

でも、実は昨日の出来事も、1時間前、1分前も、1秒前の出来事さえも実は”今ここ”を生きる私たちには何ら影響を与えることはない。影響を与えることは本来できないというのがこの本の主張です。

スピリチュアルな世界でも、よく、”今ここを生きる”大切さは語られます。今に集中していれば、過去何があったかなど関係ない。同時に、未来も関係ないと。

そもそも、過去や未来は存在しません。
過去は過ぎたことであり、ただの曖昧な記憶であり、未来はまだやってきていません。未来は決まってもいません。

存在するのは、確かなのは、今この瞬間だけ。
だから過去のトラウマなど、本当は存在しないのです。

自分の世界の見方を変える(色眼鏡を外す)

あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。


例えば、いつも孤独を感じている、という人がいるとします。

道を歩いていても、家にいても、誰といても恋人といても、いつも孤独を感じると。
その人の目に映る世界にはいつも孤独感があります。

それは、実際にその人が一人ぼっちだからでも、いじめにあっているからでも、世界がその人に孤独を感じさせる何かを発しているからでもありません。

その人自身がずっと、”孤独感”という色眼鏡で世界を見ているからです。

その色眼鏡を外しさえすれば、一瞬で世界は明るく輝く。

私たちがその眼鏡をかけて物事を、出来事を捉えていることにさえ氣づけば、その瞬間その眼鏡は消滅します。

自分の課題と相手の課題を分離する

あなたの貢献が役立っているかどうかを判断するのは、あなたではありません。それは他者の課題であって、あなたが介入できる問題ではない。


私が初めてこの本を読んだ時、当時勤めていた会社での人間関係に悩んでいました。日々の仕事の中でストレスだらけ。
この”課題の分離”について知った時、本当に楽になったことを今でも覚えています。

「自分はこんなに職場で貢献しているのだから、評価されるはずだ。」
そう期待しても評価もされず喜ばれもせず、結果傷ついたり怒ったり、他者と比較して落ち込んだり。

この負の感情はすべて、相手の課題に勝手に踏み込み期待をして、勝手に傷ついてストレスをためているという状態です。

どんな物事に対してもどう感じるかは相手の課題であり、自分がコントロールできるものではない。どんな感情を選択するのも、傷つくことさえも相手の自由意志であり選択である。

本音を言えず人間関係をこじらせる、よくある「傷つけたくない」「迷惑をかけたくない」という発想そのものが、自分と相手の課題の分離ができていない証拠であると言えます。

”ライフスタイル”を変える勇気を持つ

ライフスタイルを変えようとするとき、われわれは大きな”勇気”を試されます。変わることで生まれる「不安」と、変わらないでいることでつきまとう「不満」。きっとあなたは後者を選択されたのでしょう。


アドラー心理学では、その人の性格や氣質、思考や行動の傾向性、世界の見方、その人の人生の在り方を”ライフスタイル”と呼んでいます。

一人一人が持つライフスタイルは自分自身が自ら選んだものであり、誰かのせいでも環境のせいでもありません。
だからこそ、自分次第で、今この瞬間から、何度でも選び直し変えることができるというのがアドラーの教えです。


でも、人はなかなか自分のライフスタイルを変えようとしないし、変わりたくても変われないと訴える。
でも本当は変われないのではなく、自ら変わらないことを強く決意しているのです。

何故なら人は、今のままの自分でいることの方が安心だから。ライフスタイルを変えてしまうことにより生じる不安より、変わらないままの不満を選んでいるからです。

だからこそ、自分以外の誰かを変えようとするなんて到底無理なことなのです。
その人は、そのライフスタイルを自ら選び、それを今後も変えないと決意しているのだから。

他者の期待に応える人生を手放す

他者の期待を満たすように生きることは、楽なものでしょう。自分の人生を、他人任せにしているのですから。たとえば親の敷いたレールの上を走る。ここには大小さまざまな不満はあるにせよ、レールの上を走っている限りにおいて、道に迷うことはありません。しかし、自分の道を自分で決めようとすれば、当然迷いは出てきます。「いかに生きるべきか」という壁に直面するわけです。

<中略>

他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。


私たちは知らず知らずのうちに、誰かの期待に沿う、期待に応えるような生き方をしてしまっています。

特に多いのは、親の期待に応えて勉強を頑張り、小中高と卒業し、良い大学に入り就職すること。
この既定路線のレールの上を走ることはある意味楽です。

親の期待通りに良い会社に入り、会社に従って働いていれば収入が入り、出世して故郷に錦を飾れば親が喜ぶ。
親のために近くに住み、親のために必要な広さの家を建てる。

不満は多いが我慢さえしていれば、会社に勤め続ければ〇年後には退職金をがもらえるだろう。。。そこまで何とか粘り働こう、、、。

一見善良な生き方に見えますが、これでは自分に嘘をつき、他人の期待に応えるだけの人生になってしまいます。

競争と他者との比較を手放す

誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいのです。もちろん、他者と自分を比較する必要もありません。


私たちは他者との比較の中で幼い頃から競争させられてきています。

幼稚園から運動会でかけっこして、順位を決められ、小学校からは学力で順位をつけられ、そのまま他者との比較の中で劣等感を持ちながら大人になっていく、、、。

アドラー心理学では、健全な劣等感とは他者との比較ではなく、理想の自分との比較で生まれるものと説いています。

比べるのは自分の在りたい在り方と今の自分であり、他者ではないということ。
本当は、他者など、いないのだということ、、、。

藤井風さんの「まつり)という歌の歌詞に、下記のような言葉があります。

一体何がほしいわけ
誰に勝ちたいわけ
なかなか気づけんよね
何もかも既に持ってるのにね


私たちは、ずっと幼い頃から何と闘ってきたんでしょう?
何のために競争させられてきたんでしょう?

そろそろそのおかしさに氣づく時が来ているようです。

自分が正しいという思い込みを捨てる

人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。


自分の正しさを意識した時、同時に誰かの間違いが生まれます。
私は正しい、ということは、誰かを間違いとして否定したりジャッジしたりすることになります。
人はそれぞれ価値観も考えも違って当たり前。

正しさのぶつけ合いと争いのステージから早々に降りるとエネルギーもとても軽くなります。

人間関係に固着しない

もしもあなたが異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら、そんな関係など最初から結ぶ必要などない。こちらから捨ててしまってかまわない。


本音を言えないのはなぜか。良い人でいようとするのはなぜか。

それは、人間関係が壊れることを怖れるからです。根本は、怖れのエネルギーです。
怖れは執着と不自由さを生みます。

アドラー心理学では、大きな共同体感覚を持ち、承認欲求ではなく貢献感を持とうと唱えています。
この共同体感覚というのが、スピリチュアルな世界でいうと”ワンネス”の意識、私はあなた、あなたは私の感覚に近いものとも捉えられます。

目の前の小さな人間関係に固着せず、広い意識で自分という存在を俯瞰していくことを勇気づけられる一説です。

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持つ

あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りていないのでもない。あなたには、ただ、”勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。


人は多くの場合、自分が幸せと感じられないことを誰かや出来事のせいにしがちです。

でも本当は、自分が幸せになることを許可できていないだけです。

幸せになる勇気が持てないが故に、幸せになることが怖いから、ずっと”不幸”な自分を自分自身が選択し続けているのです。

「嫌われる勇気」がリリースされた後に、「幸せになる勇気」が続編として出版されています。こちらも合わせて読まれることをお勧めします。

まとめ

「嫌われる勇気」というタイトルの通り、この本の最も重要な主張は、「嫌われる勇気を持つこと」です。

アドラー心理学では、「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。つまりわれわれは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めている。しかし、宇宙にただひとりで生きることなど、絶対にできない。ここまで考えれば、「自由とはなにか?」の結論は見えたも同然でしょう。

「自由とは、他者から嫌われることである」

というのが、哲人の答えでした。

この名言は、空気を読み、人に嫌われることを怖れて自分に嘘をつき、本音を言わずに取り繕うことをしがちな私たち日本人にとっては、まさに真の自由への解放の名言と言えます。

つまり私たちは、人に嫌われてなんぼなのです。どんなに良い人をやっても、何をやっても、必ず自分を嫌う人は存在します。
どんなに素敵なアーティストにもYoutuberにも、必ずアンチはいるのです。

私たち一般人にしても同じです。

こう考えると、人に嫌われないように、どう思われるかを氣にして生きるのはとても勿体ないことだと思いませんか?

「嫌われる勇気」は、きっとあなたの生き方を楽にしてくれます。
楽になるとは、怠けるということではありません。人生を楽しむということです。

私たちの人生は限られていて、明日が来ることも本当は約束されていません。

だからこそ今この瞬間を、嫌われる勇気を持って自由に、今ここに集中して生きるということを全力で楽しんでいきましょう。




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